兵庫県の赤穂市の隣はもう岡山県。
山陽本線から直通でJR赤穂線の 「播州赤穂」で降ります。
「赤穂城」
1648年、浅野長直によって建てられた「赤穂城」
1701年、忠臣蔵で有名な ”元禄赤穂事件”が起き、
浅野赤穂藩は断絶となりました。
その後は永井家 → 森家へと藩主が移り 幕末に至ります。
永井家、森家の代になると石高を大幅に減らされ
(5万石→3万石→2万石)、藩の維持にかなり苦労したようです。
「大石邸長屋門」。
大石内蔵助の一家3代が住んでいた屋敷跡。
元禄14年主君の江戸での刃傷による悲報を伝える
早打ちがたたいたのが この門です。
大石内蔵助の親戚でしたが、討ち入りには加わっていません。
大石邸の斜め向かいにありました。
裏庭に咲くスイセンの花
「大石神社」
大石内蔵助ら赤穂浪士たちを祀った神社。
明治に入って創建されました。
森家の先祖の7人の武将も合祀されています。
「四十七義士石像」
大石神社の入口にずらっと並んでいる 討ち入り姿の浪士たちの石像。
説明書きに 「兵馬俑工芸技術伝承者作製」とあり、
確かに兵馬俑風です。
「赤穂市立歴史博物館」
展示されているのは ”赤穂の塩” と ”忠臣蔵”が中心です。
浅野赤穂藩の時に新たな塩の製法を生み出し、
塩は赤穂藩の重要な収入源となりました。
この辺りは井戸を掘っても海水が出てきてしまうので、藩内に
上水道を張り巡らせ 人々のくらしを支えてきたということで、
水道管も展示されています。
和菓子の店 「かん川本舗」
さすがに塩の街。 ”塩味饅頭”は赤穂藩、さらには徳川家に
献上されたとされる赤穂の特産品。
備長炭のお店
お店の渋さは赤穂の街にとてもマッチしています。
立ち寄ったお鮨屋さんにて
牡蠣のオープンレストラン
牡蠣の産地ということで、こういうお店も何軒が出ています。
小さい子供づれの家族も多く、若者たちで賑わっていました。
訪れるまでは どんなところか想像できませんでしたが、
なかなか充実した散歩コースでした。