世の中の変化を感じるのは楽しいこと

朝目が覚めたら 世の中がすっかり変わっていたということはないけれど
人があまり気づかないくらいに ちょっとずつは変わっていっています。

それは全員すみずみまで意識や好みを変えるのには かなりの時間が必要で
何年か何十年か経って ある部分がすっかり変わってるねって気づきます。

(だから戦争で国民の意識を一瞬にして変えてしまったのは とてつもないことです)


携帯やコンピュータが発達した今 日々変わっているなぁと感じつつも
毎日の生活や外の景色(特に田舎の風景)を見てみると 意外と 
何年も前とそう変わってないと感じることが多いです。



先日 義姉の家に送った果物が届いたというメールが入りました。

「果物届きました、ありがとう。 
ちょうど母が来ているので、一緒に食べます」

わたし: それはいいタイミングで良かった。

(注:90歳を超える義母は近くに住む義姉のところへは時々行きます)


「この暑さでも 母は食欲があってびっくり」


わたし: それはすごい。


「でも相変わらず愚痴も多いけど、それが元気のもとだから
まあいいかなと思って」

わたし: ・・・・(- -)


超高齢になった今は もはや我が家に呼ぶことはできませんが、
その当時からずっと 義母は愚痴が生きがいみたいになっています。

決して嫌いな義母ではないので、それがなかったらどれだけ
付き合って楽しいかと思います。

90歳も過ぎたら外野があ〜しなさい、こ〜しなさいと言っても 無理。

もっと足腰がしっかりしている頃から そうさせないように周りが
しむけていかないと・・・と思う。

愚痴が生きがいというのは 本人にとって娯楽のひとつしかないのかも
しれないけど、聞いてる人はたまりません。


さて、自分に戻してみて・・・

マイナス思考に陥らないように まだ元気でいられる今 できるだけ
外に目を向けていたいと思うし、それを習慣にしてしまいたいとも思う。

世の中は自分が思ったようにいかないことばかり。

だから目の前の小さなことに拘るのは ほんとうにつまらない。

愚痴っていると 時が止まってしまう。

五感を磨いて いつも世の中の変化を感じていたいです。