面倒なことでも ”最低すべきことはする” と親として子どもに伝えていきたい

最近、親類や身近な人の子どもたちの間で 派手な結婚式を
挙げる人がいる一方、ごくごく親しい人たちだけの簡素な式で
すます例も増えています。

形にこだわらなくなって、それぞれが思いのままに挙げるというのは
いいことだと思います。

ところが、簡素に挙げた人で叔父、叔母の関係でもあるのに、本人から
何の報告もなく、二人の世界に浸った写真が掲載された年賀状をいきなり
送ってくるということがありました。

お祝い(金品でなく、心情的なもの)する気がま〜ったく湧いてきませんでした。

腑に落ちないので 相手方に聞いてみると 式に呼ばないのに
何だかお祝いの要求をしているようで申し訳ないから 正式な報告は
しなかったとのことでした。

どちらの言い分が正しいのか?

わたしとしては式に呼ぶ、呼ばないは関係ない。でも 順を追っての報告は
叔父、叔母の関係くらいまでは必要だと思うのだけど。


まず 手紙などの文書(Lineなんかでなくって(−−))で、 または
直接家を訪ねて結婚が決まったけど式を簡単にすませる、または
式を挙げないことを知らせる。

そして結婚後アツアツの写真付きの年賀状やお知らせのはがきを送るという
手順があったならば 心からお祝いしたいという感情が湧いてくるものです。


これからますます機械化が進み、人工知能が活躍する時代、人間的なものを
大事にしないと 機械に使われてしまいますよという話を何かの本で読みました。


大事なのは形じゃない。 機械では不可能な人間が持つ感情を
持ち続けることじゃないかと強く感じます。

わたしも 何でも簡素化したいという思いはあるけれど、
省いてはいけない ”めんどうなもの” もあるということを
ちゃんとインプットしておきたい。


意識していかないと やがては人間が機械みたいになってしまいそうです。