”道徳” って何?

先日夫が 北野武さんの 夢を持たせることの無意味さを
伝えたサイトを見て、ほんとそうだなと話していました。


実はそれは 幻冬舎から出版されている 武さんの
”新しい道徳  「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか”
という著書の中で語っていることでした。


kindle版で読んでみました。


”はじめに” にこの本の内容について 「なるほどと思う人間もいるし、
思わない人間もいるだろう。 腹が立つかもしれないが、それは読者の自由だ。 
好きに腹を立ててもらいたい」 と書かれています。


でも内容の多くが わたしが普段感じていることでした。


”ですよねぇ” と特に共感するところは、

「子どもに喧嘩をしちゃいけないと教えるなら、大人だって
いかなる理由があろうと 戦争をしちゃいけない」(引用)

まったくです。



なぜ本を読みながら歩いていた二宮金次郎銅像になって、
スマホを片手に歩いている女子高生は目の敵にされるのか」(引用)

これは別にスマホ歩きを正当化するための言葉ではないです。

偉人伝がいかに空虚で 心に響かないものかを伝えるためです。

人に何かを伝え理解させるのに必要なのは、伝える側の本気度で、
道徳というのは 誰がどんな気持ちで話すかが重要だろうと。

道徳は日々の生活の中で 本気で語ったり示したりするもので、
本を使って教えるものではないのです。




「夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、
生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ」(引用)


変化の激しい現代において、子どもに将来の目標に向かって
邁進させても 果たしてその時に目標としていたものが 
将来必要とされているのか、世の中に存在さえしてない
可能性もあります。

会社や学校もしかりです。
子どもに強要して そんな幻に振り回される生活なんて
虚しすぎます。

五感をふるに回転させて ”今” を生きていくべきでは?


これからは人工知能が人間を超えると言われています。

”生きるとは何なのか” を今まじめに考えないと
腑抜けな人間になってしまいそうです。


そういえば夫は以前、明石家さんまさんの名言
「生きているだけでまるもうけ」 という言葉も
気に入っていると言ってたことがあります。


たくさんの苦楽を経験してきた人の言葉は
何かしみじみとして簡潔で深いです。