「明るく前向き」は目的でなく、結果である

ここ数ヶ月コロナ禍や豪雨災害の報道で、気持ちが晴々スッキリとした日がありません。

 

それでもつまらないとか、落ち込んだとかいうこともありません。

 

そんな毎日の生活の中で、夕飯は何にしようか、今年は畑の野菜がよく育ってる、金継ぎやってお気に入りの器が復活した、散歩途中のお花たちがジメジメ梅雨時ホッと和ませてくれる・・・小さなことで心トキメクひと時があるのです。

 

それが生きるってことか、幸せってそういうことかって今更ながら感じています。

 

そんなことを考えていた時、至知という本の出版社が発行するメルマガに共感できる記事が載っていました。

 

それは川越の帯津三敬病院の帯津先生の「心の養生・食の養生・気の養生」という手記でした。

 

その中では明るく前向きについて触れられています。

 

明るく前向きに生きる人ほどエネルギーを失いやすいそうです。

気持ちのアップダウンが激しくなりがちですね。

 

明るく前向きはよい経過の結果であるのが理想。本来、人は哀しく寂しい存在だから、明るく前向きだけでは生きていけない。

 

特に困難にな状況に遭遇した時にそれに気づかされます。

 

 

以下、引用

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作家の水上勉さんは

「我々は虚空より来たりて虚空へ帰る孤独なる旅人である」とおっしゃっているそうです。

人間は哀しく寂しい存在という考え方にどっしり腰を下ろした時、
「人生は所詮そういうものなのだ」
という一種の安心感が生まれます。

 

それが分かると、日々のちょっとした出来事にも
「ときめき」を感じるようになります。

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集中豪雨の災害のニュースやコロナ禍の真っ只中、

気持ちがどーんと沈んでも、ちょっとしたトキメキを発見すれば心は落ち込まず、平静さが保たれることに気づきました。

 

美味しいものを食べる、異性にドキドキする、よい本や言葉に出会う・・・

 

 

 

再度、以下引用

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「ときめき」という希望の種を播いていれば、

心は自然と明るく前向きになります。

この前向きは哀しみや寂しさから出発していますから、
たとえ壁にぶつかってもいつまでも
落ち込むことはありません。

悲しみ→希望→ときめき→明るく前向き→
悲しみ→希望→ときめき→明るく前向き……。

この循環を繰り返す中で、「死後の世界」に向かって
生命場のエネルギーは高まっていくのです。

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目を瞑って時には自分の身体の中に思いをめぐらせ、広い宇宙を思うこともあります。

 

そうすれば自然とこの循環が生まれてきます。私は今、それを実感しています。

 

「明るく前向き」は意識して生まれるものではなく、静かに流れる時の中で循環していくもの

 なのです。