留学経験なし、海外に住んだことなし、なのになぜ仕事で海外の人たちと交渉ができるのか その2

話は横道にそれますが・・・

 

もんたよしのりさんが昨年10月に亡くなりました。

そのちょっと前、何の番組だったろう、テレビでハラミちゃんの

ピアノ伴奏でXJapanの「Forever love」を歌うもんたよしのりさんを

見ました。72歳という年齢なのに歌のパワーは全然落ちてなかったので、

近いうちにライブに行きたいなぁと思っていたのに・・・

 

それなのにそんなに時が経たないうちに亡くなってしまった。

すごくすごく残念。アマゾンに注文したCDが昨日届いたので、

昨夜は昔を懐かしく思い出しながら、聞きました。

 

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さて、

 

夫はその後、毎年4~5回はドイツに出張するようになりました。

当然、歳と共に出張課題は変わっていってると思います。

 

夫が50歳の時、会社が欧州の投資会社のM&Aにあい、従業員の

何割かは順次解雇されることになりました。

 

朝出勤すると突然、「20日後に退社するように」との通達が。

帰宅した時、私に伝えた時の沈んだ顔は今でも忘れられません。

 

次の就職を探す暇なく、通達どおり20日後に退社した。

 

外資はそういうところと自覚していたので、ショックではあったけど、

何とか乗り切ることができました。

 

次の仕事が決まるまで家にいます。

身体が鈍るからと、ジョギングしてました。

 

民間の就職斡旋会社(今風に言うと何て呼ぶのかな?)に登録し、返事が来るのを待ちます。

 

届いた連絡もいまひとつのところが多く、あせりが出てきました。

 

しばらくして、フランスの日本法人の会社に興味を持ち、応募して

みることに。都心にあるオフィスで面接を受けて返事を待っていると、

本社の人事があるベルギーで最終面接を受けてくださいと、

ベルギーまでの航空ビジネスチケットが同封された通知が届きました。

EUの企業はEU内で都合のいい場所に経理など各部署を

置くことができるそうなので、本社はフランス、人事や経理はベルギーにありました)

 

初めての海外での面接。冬だったので、ベルギーはどんより暗く、これから先どうなるんだろうと、気持ちも落ち込んで

すごく不安だったと言います。

 

運よく合格して、都心のオフィスに通うようになります。

 

しかし1年経って、フランス企業の文化は自分には合わないと退社を決めました。

 

次に行ったのは日本の従業員百数十名ほどの会社です。初めて純日本の企業に

入り、Yシャツの色など決まっていて、その会社の企業文化にもなじめず

こちらも1年半で辞めることになりました。

 

今度は勤めている間に次の仕事を探します。

 

経過はよく知りませんが、神戸にある貿易の会社に再就職が決まったと

聞きました。単身で行くつもりだったようですが(気楽に暮らせるから?笑)

私は他の場所で暮らせるいいチャンスと思い、一緒についていくことに

なりました。

 

                        ・・・続く