散歩は楽し 〜 島原(旧花街) & 祇園祭 (京都)〜

京都には祇園甲部、宮川町、先斗町上七軒祇園東、島原
六つの花街があります。

すでに島原は営業停止、現在は島原以外の花街が五花街として
存在しています。

島原には揚屋(今でいう料亭)と置屋が一件ずつ保存されていて、
今月12日から9月30日まで特別公開されています。

山陰本線のJR京都から一つ目の「丹波口」駅で降りたら
徒歩5〜6分のところにあります。


      
JR丹波口から「角屋」、「輪違屋」に行く途中の光景です

(左)「島原住吉神社
(真ん中2枚)ビール会社の懐かしいポスターが・・・
(右)午前10時、すでに開店中のちゃんこ鍋の店



「島原 角屋(すみや)」

「角屋」は ”揚屋”なので 太夫(美とあらゆる教養を身に
つけた最高位の芸奴)や芸奴を抱えず 置屋から派遣して
もらっていました。

      

遊宴だけでなく、お茶会や句会なども行われていて 
かなり格式の高い、文化人が集まるサロンでもありました。


      

立派な松が植えられた手入れが行き届いた庭園。
お茶会のために建てられた3つの茶室もあります。


豊臣秀吉が京都の街を整備し直し、東本願寺北辺りに花街を
作りました。そのうち周辺の風紀が乱れてきたので、寛永18年
(1641年)御所から離れた一体が農地だった島原の地に移されました。

この移転は人々を惑わせ、大変な騒動になったため、その4〜5年前に
九州で起きた「島原の乱」を思わせたことから この地を「島原」
と呼ぶようになったそうです。


幕末には久坂玄瑞、竜馬、西郷隆盛新撰組の志士たちが集まり 
ここで密談を交わしたそうで、当時を偲ぶのに十分な場所のひとつです。



生々しく残る新撰組による刀傷。



輪違屋(わちがいや)」
輪違屋」は太夫や芸奴を抱える置屋でした。

2階の太夫の部屋に飾られた着物、道中傘が貼り付けられた襖、
近藤勇の屏風などが飾られています。

写真を撮る余地がないくらい 次から次へと多くの団体のお客さんが
来館していたので、残念ながら輪違屋の写真は一枚もありません^^;

新撰組土方歳三に密かに思いを寄せていた島原の芸奴「糸里」を
主人公にした 浅田次郎氏の著書、「輪違屋糸里」( 上・下)
文春文庫から出版されています。


祇園祭
島原を後にして JR丹波口 → JR京都駅 → 地下鉄烏丸御池へと乗り継ぎ、
祇園祭を見に行きました。

今年は49年ぶりに復活して 合同で行っていた”前祭”と”後祭”が別々に
行われるようになり、祇園祭が一段と盛りあがっていると聞いています。

でもやっぱりメインは21日〜23日の宵山、24日の巡行です。 

今は”後祭”の山鉾建て期間なので 各地域の方たちが山鉾を組み立てて
いるところです。 毎年毎年猛暑の中で作り続けるのは大変だなことだと思います。

”こんこんちきちん こんちきちん”は夏の京都らしい音色ですね。