生きるということは決定することの連続なのかも

先日夫が帰宅してお酒を飲みながら
夕飯をとっていたら、しみじみ「あ〜
今日は特に疲れた」と口にしました。

職場になかなか決められない人がいて、
夫が代わりに決定しないと
いけないことが多いと言います。

何度か転職して、今は小さな小さな
会社に勤めているわけですが、それでも
社内のことから、取引先とのことまで
いくつもいくつも決めなければいけない
場面が出てくると言っていました。

よく考えるとこれは誰にでも言えること
だと思います。小さな子どもさえも。

何を食べようか、何のテレビを見ようか、
どこに出かけようか、洋服は何を着ようか、
食材はどこで買おうかなどから仕事や結婚、
離婚、転職、どこの学校を受験する、
手術をするかしないかなど大きな決定まで
いろいろです。

対象相手が多くいるほど決定は難しくなります。
究極首相や大統領なんてどれだけ重い決定を
し続けていることか、想像しただけで気が
遠くなります。

「人生は決定し続けること」なのかもしれません。
だから今存在するその人は 何を選択してきたのか、
その結果なんだと思います。

人は命尽きるその瞬間まで決定する。
超高齢になっても その場その場できりっと
決められる人でありたいと思います。