いつか訪ねてみたい  〜山形 置賜地域〜

先週のNHK大河ドラマ「八重の桜」は 八重一家が鶴ヶ城開城後
一時移り住んだ米沢から兄の住む京都へ移った場面でした。

米沢が出てきてふと思ったのが上杉鷹山です。

ケネディアメリカ大統領が「一番尊敬する日本の政治家だ」と
言ったという話を聞いたことがあるくらいなので 
もう少し知りたいと思いました。

元々は内村鑑三が自身で選んだ5人の代表的日本人を英語で出版したので、
英語圏の人たちが知っていても不思議ではないことです。


内村鑑三「代表的日本人」を読む (PHP文庫)

内村鑑三「代表的日本人」を読む (PHP文庫)

上杉鷹山は1751年に高鍋藩(宮崎県)藩主の次男として生まれました。


後に米沢藩上杉家の養子となり、いきなり小さな藩から
格上の藩のトップに就任。


格上の米沢藩といっても 実際はその頃石高を大きく減らされ
その上多くの家臣はそのままだったので 多大な負債を抱え、領民から
見放された荒れた領地を見て 生き返らせるんだという強い思いに至りました。


まず秩序と信頼を回復させるため 藩主自ら倹約を行います。
(そのひとつが”一汁一菜のみの食事”・・・厳しい〜)


また能力に応じた人材の配置、道徳や行事の儀式を説いて廻る、
人々の悪事や犯罪を厳しく罰する
(優しさと厳しさの両面を持っています)


5年程うまく機能していたところ、保守派が不満を抱え始めました。


家臣全員を集め、意見を聞く → 不満を持つ重臣の領地半分を
召し上げ、うち二人に切腹を申し渡しました(相当厳しい・・・)


農業を奨励して人も土地も遊ばせることがないようにしました。
(自分にも厳しいけど 家臣や農民を働かせるのも上手)


漆、コウゾの木を植える、絹の産地にする、灌漑工事の推進、
医学校の設立、薬草栽培用の植物園開設
(アイデア満載、確かな実行力)


為政者は民の父母でなければならない」を生涯貫きました
(大名とその家臣は地域住民のために存在するという考え)

自らを厳しく律し、地域再興に尽くした人なんですね。


この童門冬二氏の本には 鷹山精神が今も生きているという
置賜(おきたま)さくら回廊」沿線が紹介されています。


置賜さくら回廊」は山形新幹線赤湯駅から出ているローカル線
山形鉄道フラワー長井線)の約43kmにわたる桜の観光ルート。

数百年から千年にいたる古い桜もあるそうで・・・

駅は 赤湯、 南陽市役所、 宮内、 おりはた、 梨郷(りんごう)、 西大塚、 
今泉、 時庭、 南長井、 長井、 あやめ公園、 羽前成田、 白兎、 
蚕桑(こぐわ)、 鮎貝(あゆかい)、 四季の郷、 荒砥。

現在の置賜地域は上杉家の藩領とほぼ一致するそうです。



置賜さくら回廊」サイトはこちら。
たくさんの山陽町、長井町、白鷹町の名物桜や並木道が載っています。
http://www1.shirataka.or.jp/sakura/index.html