消えたはずの文化が意外なところで

天安門事件から25年ということで ここ数日関連報道が
多かったので、この事件をきっかけに母国である中国を捨て、
日本国籍を取得したという石平氏の本を読んでみました。

天安門事件については改めて勉強しましたが、この中で一番面白いと
思ったところは 中国発である「論語」を日本で再発見したというくだりでした。

小さい頃 おじいさんから「論語」を教え込まれました。
ところが文化大革命後 歴史や文化を否定されてしまったので、
頭の中から消し去りました。

ところが石平氏は留学生として来日し、大学の図書館に多くの「論語
についての研究書が置かれていることに驚きました。

当時関西の大学で学んでいたので 京都や奈良の神社仏閣をよく訪れた際、
その精神を感じ、よき時代の頃の母国と重ね合わせました。

ある時期西洋ではギリシャやローマの文化が廃れたけど、イスラム世界に
しっかり引き継がれていることを知り 14世紀にルネサンスが興ったことや
インドで発生した仏教が インドでは違う宗教に置き換わってしまったのに
近隣の国々に仏教がちゃんと根付いていることや
江戸時代の浮世絵も日本より海外で多く蒐集されていることなど思い出し
世界中で同じようなことが起こっているんだなと感じます。

論語」のことあまりわかりませんが、日本のあちこちに
その精神が散りばめられていて 気付かないままに生活に
溶け込んでいるんだと思います。


それからもうひとつ、外国人が日本語を学習する時に苦戦する敬語に
ついてなるほどと思うことが書かれていました。

「要するに、様々な微妙に違ってくる場面に応じて、言葉の使い方
一つ一つを理性的に判断するよりも、むしろ自分の本当の気持ちに
したがって、自分の真心をこめて敬語を使えばよいのだ、という
ことである。 頭で判断するよりも、まず気持ちをこめるべきだ、
ということが分かったのだ。
相手に感謝しなければならない時、本当に感謝の気持ちをこめて、
「ありがとうございます」と言えばよい・・・・・・」(本文から抜粋)

型がきちんとしていても 気持ちがなければ悲しいですね。


私はなぜ「中国」を捨てたのか (WAC BUNKO)

私はなぜ「中国」を捨てたのか (WAC BUNKO)