学んじゃおうというほどでもないのですが^^;
弘法大師、空海、お大師さま・・・・
お大師さま関連のお寺はあちこちにあります。
わたしのお大師さまへのイメージを宗教家であるとか
アーティスト(書家)であるとか、プロデューサーであるとか
マルチタレント的な人とか畏れ多くも勝手に持っています。
満濃池まで作って・・・
同時期に唐に渡った最澄はすでに時の人だったので、
遣唐使としての待遇は雲泥の差でした。
唐にいること約2年あまり。
その間に空海は才能を開花させ、唐の高官にも重用され、
名が知られるようになりました。
好奇心が強く、唐の言葉も宗教の基本もすでに身につけていたので
目標であった密教を習得することは 空海にとって
そう難しいことではありませんでした。
それから先はこの2年の間で最澄と立場が逆転していきます。
密教以外にも唐からの帰路、文学、天文、医学、美術にも
興味を持ち、書をたくさん手に入れています。
経済にも明るい人でした。
また人を認めていたので 波風を立てません。
最澄とは違い、空海は奈良仏教を否定することはなく
孤立することもありませんでした。
平安時代初期の激しい勢力争いの中、側近たちは翻弄されますが、
そこでも空海は一歩引いて 自らの道を貫いていました。
また俗な世界にも興味を持ちます。
空海自身人並み以上の性欲を持っていて、色を売ることを
生業にしている家にも出入りしていたようです。
性欲もまた宇宙の心理であり、宇宙の呼吸が存在すると考えました。
性欲さえも宇宙の真理まで昇華するわけです。
釈迦はとにかく煩悩を消しなさい、解脱しなさいと説きました。
しかし空海は成仏したまま浮き世で暮らすことを説きました。
密教は
「解脱解脱といっても人間も虫も草も、生命あるかぎり
生きざるをえないではないか、というひらき治った所から
出発した」(引用)
だから
「空海がたとえその婦人を見て欲望を覚えたところで
かれの思想でいえば恥ずべきことではなかったであろう。
かれにとって具体的世界はすべて煩悩の刺激材であると
見ており、具体的世界がなければ即身成仏という飛躍ができない。
その具体的世界を一瞬で清浄 ー 抽象化 ー してしまう
思想と能力を身につけることが密教的作業だと考える
男なのである」(引用)
ふむ。
すべてこの世の現象も宇宙と繋っていて どんな苦しい状況でも
自分の信ずるところに流れるものだと感じていました。
空海が唐に渡ってインドの思想を徹底的に学んだ事が
のちの生き方に大きく大きく影響を与えました。
アーティスト(書家)としての空海はどうだった?
墨で濃淡を出したり、絵を入れたりと新しい型を生み出しました。
また行書、草書、隷書など文字によって筆を変えました。
狸毛、羊毛、兎毛・・・・好みのものを自分で提案し、
職人に作らせました。
実際は ”弘法筆を選ばず” ではなかったということです。
お大師さんのこと少し理解できました。
スケールめちゃ大きい・・・
どこかまた旅して空海の足跡を見つけたら 当時に
タイムスリップして 空海さんとお話ししたい!
空海自身が書いた書物や当時の資料がたくさん残っていて、
著者である司馬遼太郎は事実と想像を織り交ぜながら
読者に「空海の風景」を思い描かせるように書いています。
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