グローバリズムは本当に日本をだめにしてしまうのか?と一度考えてみる

年の瀬も迫っているというのに「グローバリズムが日本経済を破壊する ー 
は、本当なのか?」と疑問を投げかけている本を読んでしまいました。

家の片付けやお正月の料理を考えながら・・・・^^;


八代尚宏著: 「反グローバリズムの克服」 新潮選書


今の世界の国々の経済政策が例に挙げられていて
なるほどと思うことがたくさんありました。

高福祉政策をとるスウェーデンは徹底した市場主義をとっているため、
企業救済などなく一貫して個人を救う制度になっています。


アメリカでは定年退職制度は年齢に基づく差別とされています。

確かに定年の歳になってもまだ社会貢献できる人もいるから
「定年は60歳あるいは65歳」と一律に切ってしまうのは
おかしいかもしれません。

性別でも人種でも年齢でもない、つまり能力さえあれば、ということなんでしょうか。
しかし能力主義というのが一番厳しいのでは。

あたり前と思っていることが、視点を変えて見てみると
全く違って捉えられていることがよくあります。


また政府の歳出増への監視が厳しい米国内のティーパーティーの力が
強くなっていますが、社会保障が増えて国債発行(借金)で賄う日本にこそ
ティーパーティーのような運動が拡がっていいのではないかと
著者は考えています。


国の債務についてもうひとつ。

EUでは国の債務残高が基準以下でないと 
仲間に入れてもらうことはできません。 

もし日本がユーロ圏に入れてもらおうとしたら 今の日本の債務残高は 
基準より高いので 参加することはできないようです。


不思議な国、ニッポンですが、EUのような「外圧」もなく、
ティーパーティーのような「内圧」もない日本だから 
財政再建がなかなかできないのではとの指摘です。


通貨についても興味深かったです。

ユーロ圏では経済の強い国も弱い国も同一通貨になってしまったため
国ごとの調整がきかず、ギリシャなど危機が起きた国は苦しんでいます。


日本も同じことが言えるそうです。
(そういうことなのかって初めて知りました)

都市部と弱い経済力の地域と同じ ”円” であっても
問題ないのは政府が調整をしているからです。

所得の高い地域から所得の低い地域へ税を配分したり、

公共投資を地方へ集中させたり、

米の価格をつり上げたりすることによって農村所得を引き上げたり。

これまではこのような所得格差を縮小させる政策が可能でした。

経済力の弱い地域の ”円” を都市部のものより低い水準にすれば
(例えば ”北海道円” にするとか)その地域での競争力はつくそうですが、
残念ながら現実的ではありません。

経済が縮小していく中、日本はこれからも同じことを
続けていくことは可能なんでしょうか。


他にもシンガポールと日本との年金制度の違いとか
参考にするとよい国はカナダであるとか いろいろ書かれています。


世界の多くははすでにその流れになっているし、経済を拡大するには
もうグローバリズムは避けられないとは思います。

そうはいっても自由放任のままでいいはずはなく、サッカーの試合で
選手がフェアに競うために存在するレフリーの役を 政府が
しっかり果たさなければいけないと著者は言っています。


戦争を儲けの手段にしたり、極端な拝金主義になってしまっている強欲資本主義が
闊歩しないよう 本当に政府の監視が機能してくれるのかどうか、大いに疑問が
残るところです。

多くの人たちはその点を憂いているんだと思います。