なかなか鋭い評論をされる 橘玲氏 のブログや本を
時々読んでいます。
1ヶ月近く前になりますが、10月13日付けの 「日々刻々」 は
”番長やヤクザが排除され、「監視社会」が到来した”
というタイトルの記事でした。
日本ではヤクザが排斥されるような方向に向かっています。
一見、世の中の安全が保たれるような錯覚に陥りますが、
現実はそう簡単ではありません。
以前は 学校内では番長が、一般社会ではヤクザが 社会のルールに
適合できないやんちゃな人たちをまとめていたので 世の中は
ほどほどに秩序が保たれていました。
しかしヤクザや番長を排除してしまうと 枠に納まらない者たちの
悪さを止める者がいなくなり、しだいにエスカレートしていきます。
実は犯罪の件数は昔とあまり変わっていないそうで、内容が
年々凶悪になってきてるといいます。
そこで登場するのが 街中での監視です。
あらゆるところにカメラが設置されて 人間でなく機械が
取締りをするようになってきました。
流れのままに過ごしていると すっかり機械に使われて
しまっているということになりかねません。
時代と共に役目が何かに置き換わっているだけで お気楽に
機械に任せたままでは 根本的な社会のあり方は それほど
変わらないのではないかと思います。
別なものに置き換わったことによって失われるものは何なのか、
代わりに必要なものは何なのか、そこにこれからの子育てする上での
ヒントが隠されているような気がします。
「犯罪不安社会 誰もが不審者」? (光文社新書) が
ブログ記事の中で参考文献として紹介されていました。
2006年発行とちょっと古いのですが、近いうちに読んでみます。