「豊かさの中の豊かさ」の国

ヒト・モノ・カネがいとも簡単に国境を越えられる時代になり
 ”国”というのはこの先 一体どうなっていくのでしょうか。

社会現象をユニークなたとえで説明してくれるエコノミスト
浜矩子さんの「老楽国家論」を読んでみました。


老楽国家論: 反アベノミクス的生き方のススメ

老楽国家論: 反アベノミクス的生き方のススメ

日本が経済成長していた時は 「低ストック(蓄え)、
高フロー(勢い)」だったけど 今日本は「高ストック、
低フロー」に変わった。

実際はどうかというと「貧困の中の豊かさ」から
「豊かさの中の貧困」になったということです。

成熟した日本、一歩先行って これからは
「豊かさの中の豊かさ」に変えていきましょうと。

何百年も前から したたかにグローバルに生きてきた
ヨーロッパの国々をおもしろおかしく分析しています。

イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、
ルクセンブルグデンマーク、スイス、ギリシャ・・・
確かにいいも悪いも学ぶところ多しです。


また「足るを知る」で満足をしてはならないと言います。

(以下本文から引用)
なぜなら、「足るを知る」は一種の自己満足だ。自己完結でもある。
そこには、「人はどうでもいい」という雰囲気がそこはかとなく漂う。
あまり他人のことに関心を寄せている心情が感じられない。
人は人。我は我。人はどうなろうと、我足るを知る。この感じが、
どうも老楽国家らしくない。 人がどう言おうと、貫くべきことは貫く。
この度胸は老楽的だ。だが、周囲の人々について無関心であること、
自己完結の世界に閉じこもって、万事にわれ関せずを決め込むのは、
間違いなく、老楽的な精神性ではないと思う・・・(中略)・・・
老楽の域に入りたければ、やはり、無関心はいけない。人の痛みを
我が痛みとして感じとる感受性が必要だ。(以上本文からの引用終わり)

自己満足して思考停止になってはいけないということ。


でもまあ血気盛んな若者が初めから老楽を理解してしまったら
逆に怖いかも。こういう精神を少し枯れた大人たちが持つことが
できたら 日本の将来決して暗くないと思えてきます。