留学経験なし、海外に住んだことなし、なのになぜ仕事で海外の人たちと交渉ができるのか その3

53歳で神戸の会社に転職して、仕事(ビジネス)のやり方が

変わりました。

 

以前はほぼドイツだけだった仕事が、南アフリカ、インド、アメリカ、

スペイン、メキシコ・・・へと拡がっていきました。

 

夫はこの会社に就職して新しく仕事のやり方を覚えたお陰で、

高齢になった今でも若い世代と一緒に仕事ができると言っています。

 

神戸の会社は毎年開催される業界の国際会議に参加していたので、

夫も参加するようになりました。開催国は毎年変わります。

 

そこでもいろいろな国の人たちと知り合いになっていきます。

 

やがて60歳を迎える直前、今東京で働く会社に再就職を決め、

現在に至ります。

 

この国際会議に現在働いている会社も参加できるようにしたと夫は

話しています。途中コロナ禍があり、3年程開催されなかったけど、

昨年から再び参加するようになりました。

 

発信しない夫に代わって、明日からいろいろ感じていることを

書いていこうと思います。

                 ・・・続く

 

留学経験なし、海外に住んだことなし、なのになぜ仕事で海外の人たちと交渉ができるのか その2

話は横道にそれますが・・・

 

もんたよしのりさんが昨年10月に亡くなりました。

そのちょっと前、何の番組だったろう、テレビでハラミちゃんの

ピアノ伴奏でXJapanの「Forever love」を歌うもんたよしのりさんを

見ました。72歳という年齢なのに歌のパワーは全然落ちてなかったので、

近いうちにライブに行きたいなぁと思っていたのに・・・

 

それなのにそんなに時が経たないうちに亡くなってしまった。

すごくすごく残念。アマゾンに注文したCDが昨日届いたので、

昨夜は昔を懐かしく思い出しながら、聞きました。

 

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さて、

 

夫はその後、毎年4~5回はドイツに出張するようになりました。

当然、歳と共に出張課題は変わっていってると思います。

 

夫が50歳の時、会社が欧州の投資会社のM&Aにあい、従業員の

何割かは順次解雇されることになりました。

 

朝出勤すると突然、「20日後に退社するように」との通達が。

帰宅した時、私に伝えた時の沈んだ顔は今でも忘れられません。

 

次の就職を探す暇なく、通達どおり20日後に退社した。

 

外資はそういうところと自覚していたので、ショックではあったけど、

何とか乗り切ることができました。

 

次の仕事が決まるまで家にいます。

身体が鈍るからと、ジョギングしてました。

 

民間の就職斡旋会社(今風に言うと何て呼ぶのかな?)に登録し、返事が来るのを待ちます。

 

届いた連絡もいまひとつのところが多く、あせりが出てきました。

 

しばらくして、フランスの日本法人の会社に興味を持ち、応募して

みることに。都心にあるオフィスで面接を受けて返事を待っていると、

本社の人事があるベルギーで最終面接を受けてくださいと、

ベルギーまでの航空ビジネスチケットが同封された通知が届きました。

EUの企業はEU内で都合のいい場所に経理など各部署を

置くことができるそうなので、本社はフランス、人事や経理はベルギーにありました)

 

初めての海外での面接。冬だったので、ベルギーはどんより暗く、これから先どうなるんだろうと、気持ちも落ち込んで

すごく不安だったと言います。

 

運よく合格して、都心のオフィスに通うようになります。

 

しかし1年経って、フランス企業の文化は自分には合わないと退社を決めました。

 

次に行ったのは日本の従業員百数十名ほどの会社です。初めて純日本の企業に

入り、Yシャツの色など決まっていて、その会社の企業文化にもなじめず

こちらも1年半で辞めることになりました。

 

今度は勤めている間に次の仕事を探します。

 

経過はよく知りませんが、神戸にある貿易の会社に再就職が決まったと

聞きました。単身で行くつもりだったようですが(気楽に暮らせるから?笑)

私は他の場所で暮らせるいいチャンスと思い、一緒についていくことに

なりました。

 

                        ・・・続く

 

 

留学経験なし、海外に住んだことなし、なのになぜ仕事で海外の人たちと交渉ができるのか

夫は1976年、大学卒業後すぐに外資系の日本法人の会社に

就職しました。

 

ちょうどオイルショックで就職難の時、私とはそこで知り合いました。

横道にそれるので、それはまた後程書こうと思います(;'∀')

 

配属された部署は本社の子会社で、

同じ東京のオフィスの中にありました。

 

そこは配属後数年したら本社(ドイツ)から上司が

送られてくるようになりました。その後、上司が数年で本国に戻るとまた

新たな上司が来ます。

 

なので、どの上司も日本語が全く話せない人なので、

英語で話さなければなりません。

 

また少しずつ海外に行って、プレゼンや契約、その他いろいろ

交渉されられるようになりました。

 

そうなると、英語ができないなどと言っていられません。

 

私がそばで見ている限りですが、2~3年英語学校に通い、

家では単語を覚えたり、英語の資料を読んだりしていました。

 

当時は今のようにSNSやパソコンやスマホがないので、語学教室や書籍やカセットテープ(!)などを使って、

学習がとってもスローテンポでした。

 

会社では資料も海外との連絡も上司との会話も英語で、

英語を使う頻度が日に日に上がっていきました。

 

間違いながらもしだいに英語が上達していったようです。

 

30代前半、こんなことがありました。

上司と話しているときに、「方法はない」というつもりで

「no way」と言ったら、上司は机をバーンとたたいて、

すごく怒っていたとしょげて帰ってきたことがあります。

 

「no way」は「やーだよ」とか「無理だね」みたいな意味で、

目上の人(今は使わない言葉かもです)には使わない言葉だったと

後でわかりました。

 

こんな風に失敗を重ねながらの日々です。

 

30代後半になると、発音も文も正確かどうか疑問ではあるものの

日本語のできない人たちと英語でスムースに会話ができるように

なっていきました。

 

何年か経って、仕事で来日したドイツの人たちをうちに呼ぶこともあり、夫とその人たちとの

会話を聞いていると、お互いの会話のスピードは速く、もはや頭の中で

日本語に置き換えていないんだなあと感じました。

 

一度イギリスの人がうちに来た時、「ドイツ語訛りがある」と

冗談半分に言ってました。その頃はドイツの人ばかりと話していたので、

日本語訛りとドイツ語訛りが混じった発音で、その人の言ったことは

半分ほんとだったと思います。

 

                       ・・・続く

 

 

 

 

 

 

 

 

「たか君」のこと

私は「たか君」(仮名、30代)とは一度も会ったことが

ないので、夫から日々聞くことを綴ってみるだけです。

 

「たか君」の実家は果樹園農家で「たか君」はそこの

跡取り息子さんです。

 

「たか君」の実家と夫が働く会社と関係があって、社長さんが

「たか君」を気に入り、「たか君」のお父さんの承諾を得て、

今の会社に就職してきました。3~4年前のことだと思います。

 

「たか君」は人当たりがよく、社内でも取引先のお客さんとも

海外の会社の人たちとも積極的に穏やかにお付き合いができる

青年だと言っています。

 

昨年コロナ禍が開けて以来、会社の海外出張も盛んになってきました。

昨年は「たか君」と夫の二人でインドまで行ってきました。

 

「たか君」はいずれ実家の果樹園を継ぐことになるでしょう。

でもそれは仕方ないこと。しっかり今の仕事を覚えてもらって

実家のビジネスに繋げていってくれたら嬉しいと夫は言っています。

 

                     ・・・続く

 

 

 

 

 

夫は70歳。今も週5日出勤する会社員です。

夫は50代の7年間、59歳まで関西の会社で働いていました。

 

60歳になった時、東京に戻って東京の会社に再就職しました。

 

60歳以降は毎年3月に雇用契約を更新することになっています。

 

働いているところは極小さな貿易会社です。

 

主に海外から輸入した品を国内で販売しています。

 

夫の仕事は長年培ってきた、海外の会社との交渉、貿易実務全般、

国内での営業、その他自分の出張の手配から自分の仕事に関連する

人事のことまで雑用含めいろいろとしています。

 

夫の話から察すると、社内のいち個人会社のような感じです。

 

あたり前ですが、いただく給料の何倍かを稼ぐことを

意識しながら働いていると言っています。

 

今の会社に再就職した時に、厚生年金に頼らず、給料だけで

どこまで暮らしていけるか試してみたいと宣言しました。

 

当時、まさかと思ってましたが、70歳になった現在、

10年間続いてきて、本気なんだと思っています。

 

いまだ厚生年金を受けていません。今の法律では厚生年金の保険料を支払うのは70歳まで。でも繰り下げ受給すること自体が

目的なのではなく、60歳の時、自分に課した課題に

チャレンジするための仕事です。

 

高齢でも自営の方はたくさんいらっしゃると思いますが、

70歳でフルタイム勤務の会社員は今はまだ少ないかと思います。

 

なので、高齢者のひとつの働き方のモデルとしてこんな形もありと、ブログに書いてみようと思い立ちました。

 

自らは発信しない人なので、日々夫が呟く話を私なりに解釈して書いてみることにしました。

 

                 ・・・続く

 

 

 

 

 

 

 

 

夫は今朝5時前に出て行きました

夫は今朝、新潟まで出張のため、5時前に出ていきました。

 

「一緒に行くたか君(30代、仮名)は前泊してるよ」

 

1泊するより日帰りのほうが身体的に楽だそうで・・・

 

朝起きた時、血圧は150くらいあるので、寒い早朝に出ていくのは

心配。「新幹線に乗ったらライン入れてね」と伝えました。

 

6時50分、「新幹線から見える浅間山がきれいです」とラインが

入りました。

 

今日も無事一日が過ぎていきますように。

 

                   ・・・続く

 

私の夫は今70歳。週5日勤務する会社員です

夫は先日70歳を迎えました。

私はあと数か月で70歳になります。

 

夫は今も若い時と変わらず週5日勤務で会社に行っています。

 

郊外に住んでいるので、仕事場のある都心まで徒歩と電車を

使って1時間半かけて行きます。

 

身体は若い頃とは違ってきています。

 

なので、体力維持、健康維持には以前より気を遣っています。

 

当然、仕事に対しての甘えはなく、世の中の動きや

社会の在り方についてなどにも考えながら暮らしています。

 

ずっと専業主婦である私も、夫から現場での話を聞き、世の中の

流れを知っていたいと思っています。

 

夫婦共に高齢者ではあるけれど、他の世代の誰とも変わらない

ひとりの社会人として生きていたいです。

 

考えていること、思っていることを少しづつ綴っていきたいと

思うようになった今日この頃です。

 

                          ・・・続く