夫は1976年、大学卒業後すぐに外資系の日本法人の会社に
就職しました。
ちょうどオイルショックで就職難の時、私とはそこで知り合いました。
横道にそれるので、それはまた後程書こうと思います(;'∀')
配属された部署は本社の子会社で、
同じ東京のオフィスの中にありました。
そこは配属後数年したら本社(ドイツ)から上司が
送られてくるようになりました。その後、上司が数年で本国に戻るとまた
新たな上司が来ます。
なので、どの上司も日本語が全く話せない人なので、
英語で話さなければなりません。
また少しずつ海外に行って、プレゼンや契約、その他いろいろ
交渉されられるようになりました。
そうなると、英語ができないなどと言っていられません。
私がそばで見ている限りですが、2~3年英語学校に通い、
家では単語を覚えたり、英語の資料を読んだりしていました。
当時は今のようにSNSやパソコンやスマホがないので、語学教室や書籍やカセットテープ(!)などを使って、
学習がとってもスローテンポでした。
会社では資料も海外との連絡も上司との会話も英語で、
英語を使う頻度が日に日に上がっていきました。
間違いながらもしだいに英語が上達していったようです。
30代前半、こんなことがありました。
上司と話しているときに、「方法はない」というつもりで
「no way」と言ったら、上司は机をバーンとたたいて、
すごく怒っていたとしょげて帰ってきたことがあります。
「no way」は「やーだよ」とか「無理だね」みたいな意味で、
目上の人(今は使わない言葉かもです)には使わない言葉だったと
後でわかりました。
こんな風に失敗を重ねながらの日々です。
30代後半になると、発音も文も正確かどうか疑問ではあるものの
日本語のできない人たちと英語でスムースに会話ができるように
なっていきました。
何年か経って、仕事で来日したドイツの人たちをうちに呼ぶこともあり、夫とその人たちとの
会話を聞いていると、お互いの会話のスピードは速く、もはや頭の中で
日本語に置き換えていないんだなあと感じました。
一度イギリスの人がうちに来た時、「ドイツ語訛りがある」と
冗談半分に言ってました。その頃はドイツの人ばかりと話していたので、
日本語訛りとドイツ語訛りが混じった発音で、その人の言ったことは
半分ほんとだったと思います。
・・・続く