京都の裏話、 歴史の斜め読み

「京都ぎらい」・・・著者は京都の嵯峨育ちです。
洛中の人たちから ”嵯峨と一緒にしないでくれ”
オーラを放たれながら 怨念(か?)を抱いて
暮らしています。

最初結構なスペースを使って 洛中と嵯峨との
関係への思いや恨みを綴っています。

わたしなど 東京の隅っこ〜のほうで生まれて
20代半ばまでそこで育ちました。

都心周辺で生まれ育った友人たちからは 
「えっ?!東京生まれだと思ってるの?」
なんていう視線をバチバチ投げかけられて
いました、はい。

だけどこの歳になると いいと言ったって
たかが地価が他より高いとか、近くにちょっと
おしゃれな店があるとか、交通の便が良いとか・・・
その程度のことじゃない。 所詮ま・ぼ・ろ・し。

そう思う人にはそう思わせておけばいいよ。
特に羨むことでもないです。

これは 歳のせいでおおらかになったのではなく、
交通網が発達して 都心に出るのがそう不便で
なくなったからかもしれません。

ということで いい大人(失礼!)が
いつまでぐずぐず言っているんだろう
と思って 読み始めました。

京都は特別なところ、他とはわけが違うのさ
という これまた複雑な意識があるのかもと
詮索しています。

ところが・・・そういう思いがちらちら見え隠れ
しながらも わたしたちが知らない裏話を
たくさん教えてくます。



たとえば・・・

祇園が今なお維持され続けているのは
京都のお寺のお坊さんが祇園遊びをするから
というのはよく知られている話ですが、
さらに具体的に細かく面白く語っています。


比叡山の回峰行は一般的にはすごいことと
思われていますが、比叡山の中ではある種
体育会系的な業績として位置づけられています。

大学の駅伝や野球が放つかがやきと
同じようなものなのだそうです。
えーっ?!

僧侶の息子さんは仏教系の学校へ入れるが、
娘さんはお嬢様としての値打ちを高めるため
ミッション系の学校へ入れることが多いとか。

それから小さな出版社の旅の本では 有名な
お寺がイラストで描かれていることがあります。

イラストのほうがむしろ想像を掻き立てられ
行ってみたい!と思わせるからと考えていましたが、
実はどうやら 高い撮影料のせいらしいのです。

維持するには いろいろ物入りがあるから
仕方ないんでしょう。きっとね。

他に 明治維新無血開城とするのは嘘である。
京都も会津以北も・・・そしてその後も戦いは
続いているのです。


京都では「大文字焼き」と呼ぶのを嫌い
「五山の送り火」と呼ばれていること。
(そういえばわたしも関西に住むまでは 
ずっと大文字焼きと呼んでいたっけ)


他にも南北朝時代のことや靖国神社が創建された
理由など 興味深いことがたくさん出てきます。

このまま書き続けていたいけど やめときます。

あとはどうぞ本を読んでください。


京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい (朝日新書)