あなたは「都市化」な人?「里山」的な人?  養老孟司氏著:「自分は死なないと思っているヒトへ」を読んで

養老孟司氏の「自分は死なないと思っているヒトへ」の

キーワードは「都市化」と「里山です。

 

「都市化」とは人間がコントロールできる範囲で

生きていくということです。

 

従ってコントロールできないものは排除していくようになります。

 

コントロールできない生死はないことになってしまっている。

 

少子化は行き過ぎた「都市化」の結果ではないか?と書かれています。

 

子どもは思うようにいかないもの。自分たちでコントロールできない

ものなのです。だから産まない人たちが増えてきていると。

 

死ぬことも同じです。家で死ぬ人の割合が極端に減り、

最期は病院でお世話になることが多くなりました。

「死」は忌み嫌われるものとなりました。

 

「生」も「死」も100%避けられないものなのに。

 

親たちは将来子どもを何とか少しでもいい(とても抽象的)仕事に

つかせたいと幼児教室に通わせたり、習い事させたり、

中学受験させたり、いろいろコントロールし始めます。

 

子ともは何もわからないからそういう風に仕向けられ、従い、時には壊れることもあります。

 

子育ての「都市化」です。

 

子ども自らやりたいことをただ見守っていく親御さんはまれです。

とっくに成人している私の子どもも「都市化」的子育てをしてたなぁ。

 

極端な例だけど、将棋の藤井壮太君や野球の大谷翔平君は本人主体で

親御さんにずっと見守られて現在の地位を築いてきたのだから

そういう意味では「都市化」されずに育ったといえそうです。

(単にマスコミの情報から私がそう感じてるだけです)

 

今では普通になった「妊活」も自然にさからって、コントロール

しようとする「都市化」現象でしょう。

 

逆に子どもを作らないと決めることも「都市化」です。

 

子どもをひとり、2人、3人にと決めるのも「都市化」といえそうです。

 

身体のあそこが痛い、ここが痛い、熱が出た、さあ大変と

すぐに病院に飛んでいくのも「都市化」かも。

少し様子を見れば、自力で回復するかもしれないのに。

 

私も他人のことは言えません。埼玉県ののんびりとした郊外に

住んでいる私でも「都市化」された暮らしにどっぷり浸かっています。

 

でも60歳を過ぎた頃から小さな畑で野菜作りをしたり、

体調が悪い時も様子見してすぐに病院には行かず、できるだけ自力快復させようと

小さな抵抗をするようになりました。

 

不思議なことに、若い頃より現在のほうがずっと薬を

飲む機会が減っています。

 

気分よく動けるようにと、ウォーキングしたり、朝晩には

YouTubeを見ながらストレッチしたり、意識して身体を

動かすようにしています。

 

骨を丈夫にするためには少々重たいものを持ったほうがいいと

聞いたので、そのようにしています。

 

いつの日か自然な形であの世に行きたいなぁ。

チューブにつながれるのはごめんです。

 

それには普段から家族にその旨を伝えておかないとダメですね。

ゆっくりそんな話をする機会がないので、文章にしておきましょう。

 

本の中に出てきた「里山」は(特に日本の里山を指しています)

自然と都市化の中間だと著者は言っています。

 

自然のままの場所に人が住み、必要な時にその都度、

その場所を手入れをしていく暮らしを里山暮らしと呼んでいます。

 

こうするんだという大きな目的があって行動するわけではなく、

必要に応じて自然に切り込んでいくやり方。

 

もし子育てもそうであるならば、子どもはのびのびと

育っていくでしょう。

 

都会の中に住んでいても、いつも自分の行動ひとつひとつに

「都市化?」「里山的?」と問いかけ、やり方や考え方を

変えていくと、大きなストレスを感じることが減っていくような

気がします。

 

高齢の域に入っている私は今、ストレスが少ないのは

きっとそう問いかけながら、暮らしを変えていっているからだと

この本によって気づかされました。

 

今回「自分は死なないと思っているヒトへ」を読んで

自分なりに解釈できて、なんだか嬉しくなりました。