今日のVoicy 「安いものにいいものなどは存在しない」

今日の木下斎さんの Voicy からです。

今日はちょっと違う視点からのお話です。

 

世の中には私たちが実際に触れることができない世界があります。

 

超富裕層がおかかえシェフを雇って、価値のつかない料理を

堪能している、などなど。

 

イギリスにはなぜ美味しいレストランがないのか?

それはそういうシェフたちは日本のように簡単に街中にレストランを

開かないからだそうで、これは初めて知りました。

 

一般の人たちが知ることができない世界。

さすが、イギリスは年期の入った階級社会です。

いい悪いは別としてこういう世界があることを

知っておくのは大事なことです。

 

人は簡単に「安くていいもの」というけれど、そんなものは存在しないのです。

 

有形、無形に関わらず、ほんとに価値あるものは高いのです。

 

自信ある商品ならば、自信をもって高く売ればよい。

 

この考え方はデフレマインドを吹き飛ばしますね。

 

私の20代、30代前半の結婚生活は経済的に厳しかった。

ほんとは高くてもいいもの、気に入ったものが欲しかった。

でも取り敢えず安いもので我慢していた。

 

やがて歳を取る(重ねる)につれて、少しずつでも満足できる

買い物ができるようになっていった。

 

特に器は直接窯元に行く。陶芸家のお話を伺いながら、

買う器を決めていく。そんなことができるようになりました。

 

ちょっと話はずれましたが、「安くていいものは存在しない」のです。

 

安くていいものが実際に存在するなら、それは作った人の多大なる

犠牲の上で成り立っているということです。

そうすると人は疲弊して文化はやがて衰退していきます。

 

気持ちに余裕を持って世の中を見ていくことが大切です。

 

 

                 ・・・続く

 

 

 

 

 

 

 

Voicyにはまってます。「デフレマインドをぶっ壊せ」木下斉さんと大河内薫さんの対談Voicy は目からうろこです

最近 SNS の Voicy をよく聞いています。

 

スタートはちきりんさんのVoicyで、3年ほど前からです。

目からうろこのことばかりで、欠かさず聞いてます。

 

今ではちきりんさん → 木下斉さん → 大河内薫さん(昨日からです)

と聞く範囲が拡がっていってきています。

 

昨日は木下斉さんと大河内さんとの対談のVoicyで「デフレマインドを

ぶっ壊せ」という内容でした。

 

いや~、衝撃的。

 

日本はこの数十年、デフレ、デフレと洗脳され、デフレ時代で

育った世代の人たちは内向き、マイナス思考、不活発な消費で

給料上がらず、将来の不安にかられていました。

 

マスコミよる思い込みは怖い〜

 

景気は「気」だから、皆がデフレと思ったらそうなるし、

「気」を上げれば社会はよい方向に向かっていくはずです。

 

昨日の対談ではもうデフレマインドは一掃しましょう。

世の中はインフレの時代に入っていますよ!というお話でした。

 

以前のような中身のないイケイケバブルではなく、金額に見合った商品やサービスを提供する成熟した真っ当な社会であってほしいです。

 

これからの日本は給料も上がっていくでしょう。

だから必要だと思えるものには、どんどんお金を使っていきましょうとのことです。

 

気づいたら、日本は世界の物価から取り残されていきました。

 

海外では給料や時給が2倍、3倍はあたり前。

 

世界の標準に合わせていかないと、日本はどんどん貧しくなって

いってしまいます。

 

ご自身でも Voicy をされている大河内さんはマネーリタラシーを

日本全国に広めようと、現在学校で教えていることを知りました。

 

もちろん、すべての学校ではないけれど、校長先生たちの

承諾を得て、少しずつお金にまつわる知識を広めていっている

とのことです。

 

こういう活動の広がりは素晴らしいです。

 

教育は経験の裏付けのない知識だけでは不十分になってきました。

 

専門家や実際活動されてる方たちの知識や経験を子どもたちに

伝えていくことはこれからの日本にとってすごく大切なことです。

 

「安くていいものはない」という今日の木下斉さんの

Voicyの内容についてはまた明日。

 

                       ・・・続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

老害の「MJS」はただ悪いだけなのか

昨日偶然SNSのVoicyで三浦孝偉さんのお話を聞いて、

老害の「MJS」という言葉を知りました。

 

M 昔話

J     自慢話

S    説教   だそうです。

 

三浦孝偉さんはおそらく40代前半の方。

それでも20代の人たちから老害と言われる年代に入っている

そうです!!

 

そしたら70歳に突入した私たちは、すでにあの世の人扱いかも 笑

 

MJSも若い世代にプラス(参考)になることもあるし、

若者にとってまったく聞きたくないただの高齢者の遠吠えに

聞こえる場合もあるから、考えて話さないといけないのでは

とのことでした。

 

さて、私がここ何日か夫の仕事や仕事で使う英語について

書きましたが、これは決して「M」でもなく、「J」でも

ないつもりです。ましてや「S」はあり得ません。

 

 

*夫は発信する必要はないと思っている人なので、私が勝手に

発信しているだけです。こんなこと書いていることが

知れたら、怒られるかも (^^;

 

これからの世代の人たちが、どうしたら高齢になっても

仕事を続けられるのか、日本にいながら英語を仕事で使う

ようにするにはどうしたらよいのか、一つの参考例として

残しておきたいと思ったからです。

 

今現在20代、30代の人たちとも一緒に仕事ができるのは

ありがたいことです。

 

雇ってくださる社長さんにも感謝です。

 

ずっと働くなんてまっぴらごめんもOK

高齢になっても仕事一筋で生きるもOK

働くことも趣味もそこそこに暮らすもOK

 

身体が元気なうちに将来をイメージし、それなりに準備して

高齢者に突入していくのがいいのでは?

 

正解はないので、自分自身や家族で考えながらライフスタイルを

築いていきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事で使う英語のこと

夫が現在働く会社は従業員20人ほどの小さな輸出入業務を扱う会社です。

 

夫は刻々変化していく通信事情を若い人たちから教えてもらうそうです。

 

以前、googleでの通信や事務作業などが便利だと若い人たちから

教えてもらって、必死で覚える姿がありました。

 

あの人とはチャットで、この人とはメール中心、この人は電話好き・・・と

各人のやり方は違うけど、甘んじて受けないと、

人はどんどん退化するから、黙って対応します。

 

海外との通信も相手国が使う通信機能を指定してくる人もいるので、

始めて聞くweb会議ツールなども耳にしました。

 

海外との連絡も昔と大きく変わりました。

 

海外への問い合わせなどは翻訳機を使うので、それほど

英語力がなくても仕事がこなせると言います。

若い人たちは柔軟性があるなぁと夫が感心しています。

 

私たちの若い頃とは英語に対する垣根が低くなっているのですね。

 

ただ、海外との取引先との直接の会議や電話でのやり取りは

翻訳機だけではすませられないので、やはり経験がいるのだと

思います。

 

若い人たちから「今」を教えてもらう代わりに、夫は長年培ってきた

貿易実務、海外の人たちとの交渉、国内営業などを

実際の現場で行いながら伝えていっているようです。

 

                     ・・・続く

 

 

 

転職のこと 英語のこと その他のこと

世の中は複雑で、正解などありません。

自分のことは自分で考えて選択、決定していくしかないですね。

 

夫の経験から転職や英語についてメモ的に書こうと思いますが、

あくまで夫の立場からの考えを書いてみます。

 

 

★転職について

 

50歳になって突然の解雇。初めて職探しを始めます。

なにせ突然の通告なので、次を決める暇はありません。

次が見つかるまで4カ月ほど、家にいました。

この先どうなるのか、とても不安だったと言います。

 

その後は3回転職しますが、その度に勤めている間に次の

職探しをします。

次の職を決めてから辞める、転職4回の夫が経験から学んだ

大事なポイントです。

 

 

★英語について

 

大学卒業時のオイルショックで、大手の会社が採用を大幅に控えたため世の中は就職難。最後の最後、ぎりぎりで就職先が決まりました。

 

同期で縁故のある人はどんどん決まっていきます。夫は何社も落ちて

やっと落ち着いた先が外資系の会社です。同期入社だった私も同じです。

 

当時は新入社員の研修もゆったりしていて、各部署を周ったり、

英語スクールに通わせてもらったり、泊まりでの研修もあったりと

今では考えられないほどのんびりしていました。

 

私も半年のトレーニングを一緒に過ごしました。

1年イギリスに行っていたとか、学生時代すでに学習済みの人たちは

英語の上位クラス。私と夫と他一人の3人は英会話スクールの初級

クラス(だったかな?)に通いました。

 

半年経つと、めでたく各部署に配属。

夫は入社した会社の子会社の部署に配属となりました。

その後は前に書いたとおりの経過をたどります。

 

余談ですが、私は2年で会社をやめ、その後、夫と結婚。

なので、英語の力はどんどん差がついていきました。

 

 

さて、英語の話に戻って・・・

 

就職して48年。夫はいろいろな国の人たちとの交流がありました。

ネイティブの英語、インド英語、日本英語、ラテン英語、ドイツ英語、

アラビア英語・・・皆それぞれの発音です。

 

 

発音はもはや関係なく、あまり気にすることはないというのが

夫の結論です。

でもあきらかにおかしい使い方や失礼な言い方は避けないとまずい。

そんな感じです。

 

夫も私も英語に関しては、必要な時には覚えるから

子どもを小さい時から無理して学ばせなくてもいいと考えています。

 

大事なのは自分の強みを伸ばすこと。

強みがあれば、多少下手な英語でも相手はちゃんと話を

聞いてくれるそうです。

 

それから折角日本に生まれたのだから、日本の文化や歴史を

しっかり学んでおくことが大切だと思います。

 

各家庭、それぞれの考え方しだいですね。

 

 

★海外の人たちからアジア系は差別されないのか?

 

時々ネットで差別の書き込みがありますが、大切なことは

「堂々としていること」だそうです。

 

背を丸めていたり、卑屈になっているとよくないです。

自信ありげに(^^; 堂々としていれば何の問題もないと

夫は話しています。

 

 

★Dr. (Ph.D.)の人たちとのお付き合い

 

特に海外でDr.の人と話すことがあるようですが、基本こちらが

Dr.でなくても仕事に差しさわりはないと言ってます。

 

もちろんDr.でないと話が進まないこともあるけれど、

そういうところには近づかなければいいだけのことだそうだす。

 

 

               ・・・続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

留学経験なし、海外に住んだことなし、なのになぜ仕事で海外の人たちと交渉ができるのか その3

53歳で神戸の会社に転職して、仕事(ビジネス)のやり方が

変わりました。

 

以前はほぼドイツだけだった仕事が、南アフリカ、インド、アメリカ、

スペイン、メキシコ・・・へと拡がっていきました。

 

夫はこの会社に就職して新しく仕事のやり方を覚えたお陰で、

高齢になった今でも若い世代と一緒に仕事ができると言っています。

 

神戸の会社は毎年開催される業界の国際会議に参加していたので、

夫も参加するようになりました。開催国は毎年変わります。

 

そこでもいろいろな国の人たちと知り合いになっていきます。

 

やがて60歳を迎える直前、今東京で働く会社に再就職を決め、

現在に至ります。

 

この国際会議に現在働いている会社も参加できるようにしたと夫は

話しています。途中コロナ禍があり、3年程開催されなかったけど、

昨年から再び参加するようになりました。

 

発信しない夫に代わって、明日からいろいろ感じていることを

書いていこうと思います。

                 ・・・続く

 

留学経験なし、海外に住んだことなし、なのになぜ仕事で海外の人たちと交渉ができるのか その2

話は横道にそれますが・・・

 

もんたよしのりさんが昨年10月に亡くなりました。

そのちょっと前、何の番組だったろう、テレビでハラミちゃんの

ピアノ伴奏でXJapanの「Forever love」を歌うもんたよしのりさんを

見ました。72歳という年齢なのに歌のパワーは全然落ちてなかったので、

近いうちにライブに行きたいなぁと思っていたのに・・・

 

それなのにそんなに時が経たないうちに亡くなってしまった。

すごくすごく残念。アマゾンに注文したCDが昨日届いたので、

昨夜は昔を懐かしく思い出しながら、聞きました。

 

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さて、

 

夫はその後、毎年4~5回はドイツに出張するようになりました。

当然、歳と共に出張課題は変わっていってると思います。

 

夫が50歳の時、会社が欧州の投資会社のM&Aにあい、従業員の

何割かは順次解雇されることになりました。

 

朝出勤すると突然、「20日後に退社するように」との通達が。

帰宅した時、私に伝えた時の沈んだ顔は今でも忘れられません。

 

次の就職を探す暇なく、通達どおり20日後に退社した。

 

外資はそういうところと自覚していたので、ショックではあったけど、

何とか乗り切ることができました。

 

次の仕事が決まるまで家にいます。

身体が鈍るからと、ジョギングしてました。

 

民間の就職斡旋会社(今風に言うと何て呼ぶのかな?)に登録し、返事が来るのを待ちます。

 

届いた連絡もいまひとつのところが多く、あせりが出てきました。

 

しばらくして、フランスの日本法人の会社に興味を持ち、応募して

みることに。都心にあるオフィスで面接を受けて返事を待っていると、

本社の人事があるベルギーで最終面接を受けてくださいと、

ベルギーまでの航空ビジネスチケットが同封された通知が届きました。

EUの企業はEU内で都合のいい場所に経理など各部署を

置くことができるそうなので、本社はフランス、人事や経理はベルギーにありました)

 

初めての海外での面接。冬だったので、ベルギーはどんより暗く、これから先どうなるんだろうと、気持ちも落ち込んで

すごく不安だったと言います。

 

運よく合格して、都心のオフィスに通うようになります。

 

しかし1年経って、フランス企業の文化は自分には合わないと退社を決めました。

 

次に行ったのは日本の従業員百数十名ほどの会社です。初めて純日本の企業に

入り、Yシャツの色など決まっていて、その会社の企業文化にもなじめず

こちらも1年半で辞めることになりました。

 

今度は勤めている間に次の仕事を探します。

 

経過はよく知りませんが、神戸にある貿易の会社に再就職が決まったと

聞きました。単身で行くつもりだったようですが(気楽に暮らせるから?笑)

私は他の場所で暮らせるいいチャンスと思い、一緒についていくことに

なりました。

 

                        ・・・続く